それラップしておいて、と言ったら
よーマイクチェック ワンツー
とか
そうそう腰にバンテリンを
とか言ってくれる女子、僕と一緒に人生を歩みませんか?
はい、ヌーデス。
最近さぁロングハイクしたことあるハイカーと話す機会があったり、それ系メディアの仲間と話す機会があったりで、「さて、俺はあの数年、バカな距離を歩いて何を得たのだろうか」と真面目に考える事があった。歩いたときから何年も経って。
俺の書いた釣歩日記には、ロングディスタンスハイキングで体験できることそれは、自由、解放、自然回帰、ヒッピー、地球、優しさ、驚異、感動、笑い、涙。とある。
確かにそう、でも時間をかけてユックリと咀嚼したら結局「地球の住人感」「自然の一部感」を強く肌で感じたこと。俺はこれに尽きるのかもな、と。他の色々な事はこれを得たからこそ得たものなのかもなぁ、と。この感覚はサーフィンや旅や釣りで既に持っていたけれども、それを体と心で深く体感したのはやっぱり長いハイキングだったんだな、と。ハイキングするとなる謙虚、誠実、危機感所持、必要不必要認識などなどは「地球の住人感」「自然の一部感」がトリガーつーかそんなんだったんだなぁ、と。
俺の場合、自然の中に浸かりたくて、遊びたくて、つーのが目的みたいなところもあったからそうなんだろうな。もちろんハイカー同士や他の色々な人との出会いもいい思い出だけど、やっぱり自然が一番の目的であり、その他はあくまでも副産物だったんだよね。それはそれは最高の副産物だったんだけども。でもそれは今までしてきた旅でも得られてきた、いやむしろそれを得たくて旅をしてきた感さえある。若い頃の旅の後半で海外ボランティアへ行っていたのは志の近い世界中の人々と一度に会えるからだったしなぁ。まぁ、自然が目的っても、誰ともずーっと会わないとか未知だから俺にはまだわからないけど、それはそれで寂しいのかもね。いつかやってみたいけど、数ヶ月自然の中で誰とも会わない、とか。
で結局何が言いたいのかというと、ロングディスタンスハイキングはそれらもろもろを体験するのにバランスが異様にいい、つーこと。最高な遊びだっつーこと。いや、まじで、良いから。
自分の家は大事にしようね、それ壊すと人類無くなるかもね。
でも人には正義なんつーものがあって、いろいろと勝手をやらかす。
誠実、謙虚、愛が地球を延命させる。人を幸せにする。
あ、政治家の所持率0のやつかこれらは。。。。。。
政治家にはロングディスタンスハイキングをさせろ
かわいい子には旅をさせろ、みたいなもんか
昔の人は深い言葉を残してきてるよなぁ
あ、バカは死んでも治らないってのもあったか。。。。。
とにかく今はもろもろの平和と、自然をちゃんと感じられる世の中を望みます。
あ、話それた、ようでそんなにそれてないか。
今年歩く皆さんが無事に、楽しんで、苦しんで、笑って帰ってくることを祈りつつヌーディストは古民家直しとキャンプ場作るのがんばります。とさ。
久しぶりにブログ書いてみた、たまには書くか。
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